南アフリカのヨハネスブルクという街は、世界でも最恐クラスの危険度を誇る。普通の街中でも強盗や殺人が横行し、観光客の東洋人が歩けば即死。そんな日常がいまだに存在する世界一立ち寄りたくない場所だ。
ヨハネスブルクの中でもかつて最悪のスラムといわれたポンテタワー。その成り立ちと現在の実情を詳しくみていくことにしよう。
かつてギャングに占拠されて世界最悪の高層スラムといわれたポンテタワーにきました。今は安全といわれてます。でも駐車場で車に火をつけて焚き火している人がいて面白かったです。 pic.twitter.com/In8g905MMY
— 小神野真弘 Masa-Oga (@zygoku) August 4, 2018
ポンテタワーの成り立ち
ポンテタワーは1975年に建設された高層ビルだ。当初は白人専用のコンドミニアムとして利用された。当時はアパルトヘイト政策により、白人と非白人が完全に区別され、差別と憎悪にあふれる世の中。ポンテタワーは黒人差別の象徴のような建物でもあった。
もともと住んでいた黒人が不自由な生活を強いられるのに、白人はリッチな高層コンドで優雅な生活を送る。そんなわかりやすい構図に怒りの矛先が集中。ポンテタワーにはギャングによる襲撃が多発した。
高級コンドの武装した警備員でさえ、何百人ものギャングが大挙して押し寄せれば無力。ギャングはコンドミニアムの各部屋を襲撃して金品を略奪。ついでに白人女性をレイプして殺害。悪の限りが尽くされた。
治安が一気に悪化したポンテタワーから、怯えた白人は一気に逃げ出す。所有権も放棄して夜逃げ同然の逃走。差別に苦しんできた黒人からすれば最高の成功体験だったのだろう。そして誰も彼らのことを責めることはできないはず。憎悪と貧困を作り上げたのは白人なのだから。
ポンテタワーに蔓延った犯罪
ギャングによる襲撃ですべての白人居住者が逃げ出したポンテタワーは、ヨハネスブルク最恐のスラムタワーとして長く君臨した。タワーの警備は武装したギャングの若手が担当し、間違って白人が立ち入ろうとすると即座に殺された。これが「生存時間15秒のスラム」と言われた所以だ。
タワー内はギャングにとって完璧な場所だった。誰も立ち入らないからドラッグの取引には最高の場所だし、ドラッグパーティーをしたって誰にも通報されない。当時は住民のほとんどが麻薬中毒といっても過言ではない状況だったようだ。
住民が増えるにつれ売春行為も盛んになり、ポンテタワーに出稼ぎにくる女性もいたらしい。女性の権利意識は最低レベル。レイプや強制売春は日常茶飯事の、女性にとって地獄のようなタワーだった。
「ポンテタワーでは何でも手に入る」という言葉は、最新の家電の話ではない。基本的に「ドラッグ、女、銃火器」の3点セットだと思えばわかりやすい。あとは殺人の外注なんかも可能だったという。
ポンテタワーの変遷
黒人ギャングにとって夢のコンドミニアムだったポンテタワーの繁栄は、長く続くことはなかった。2000年頃に警備会社が変更され、政府主導でギャングの排斥が始まった。ゴキブリを駆除するような本気の一掃作戦によりポンテタワーは壊滅。以後治安は劇的に改善されていく。
当時のポンテタワーは完全なる荒廃状態。タワー内部の空洞部分は5階までゴミで埋め尽くされ、タワー内は酷い悪臭に覆いつくされていたらしい。
すべてのゴミが排除され、新しい居住・商業エリアとしてスタートしたポンテタワー。当初はテナントが順調に入居していたようだが、リーマンショックを契機をした金融危機でそれも壊滅状態に。結局現在では徐々に荒廃し、準スラムといった様相になりつつある。
ポンテタワーの悲惨な実情は誰のせいなのか。もちろん歪んだ植民地支配を作り上げた白人だ。彼らのせいで何十年も黒人が苦しみ続け、白人はその代償を払おうとしない。世界は決して平等ではないことを教えてくれる出来事の一つだろう。
ポンテタワーを描いたドキュメンタリー
ポンテタワーが描かれた映画はないが、ドキュメンタリー作品として秀逸なのが『デンジャーゾーン!潜入マル秘ルポ2』シリーズ 『世界の犯罪首都 ヨハネスブルグ』だろう。
ナショナルジオグラフィックチャンネルの制作で、ポンテタワーが急激にスラム化していく様子や、再開発に至る過程が鮮明に描かれている。ポンテタワーのリアルな息遣いが感じられるので必見だろう。