中南米に位置するコロンビアという国。世界最大の麻薬の産地としても知られ、麻薬をめぐるマフィア達の過激なイメージが染みついている。そんな麻薬取引やマフィアの拠点となるのがスラムだ。
この記事ではコロンビア最恐のスラムとして知られたコムナ13の成り立ちと、その実情を詳しく紹介していく。
コムナ13の成り立ち
コムナ13はコロンビア第二の都市メデジン郊外に位置するスラム街だ。市内の住みやすい場所ではなく、山の斜面にへばりつくように小さい家が密集する。こんなところに家をつくったのは山が好きだからではない。良い土地に住む金がないからだ。
コロンビアには実質的な階級制度ともいえる格差社会の構造がある。貧困率や失業率は常に南米トップクラス。一部の富裕層がどんどん豊かになるなか、スラム住民は経済成長の恩恵など得られない。
そんな社会的な歪みや不満の蓄積が、コロンビア産麻薬の産業を育てたのかもしれない。貧困層にとって麻薬は一時的にすべてを忘れられる道具であり、一獲千金を狙える手段でもあったのだ。
警察が入ってこないスラムという場所は、どの国でもドラッグの取引に使われる。不運なことにコロンビアには膨大な量のドラッグが存在し、世界の麻薬王パブロ・エスコバルはコムナ13を拠点とした。
麻薬の取引には少年たちが利用され、彼らは殺人の道具としても機能した。一獲千金を夢見るコムナ13の貧しい少年達は、進んでマフィアの仕事を手伝った。彼らは銃を支給され、一部の少年は銃を使って悪さをした。
マフィアとドラッグの力により、コムナ13の治安は年々悪化する。メデジンで起こる殺人事件といえばコムナ13が定番。コムナ13での事件なら仕方ないし、一般住民には関係ないというくらいの認識。こうしてコロンビア最恐のスラムが出来上がったのだ。
コムナ13の変遷
最恐スラムとして悪の限りが尽くされたコムナ13だったが、コロンビア政府はマフィア撲滅のために勇敢に戦った。1990年代には過激派左翼ゲリラや麻薬カルテル、革命軍の巣窟だったコムナ13を、2002年の掃討作戦により1200人以上の兵士が市街戦を繰り広げたのだ。
公表では死者90人、行方不明者100人とされているが、実際の数はおそらく10倍以上。「一連の紛争でコムナ13では家族のだれかを失っていない人はいない」と言われるほど死者が多かったという。のちに麻薬王も収監され、コムナ13の治安は次第に落ち着いた。
そんな鎮静化の動きをさらに加速させたのがコロンビア政府の次なる政策。山の斜面で不自由な生活を送っていたスラム市民のために、巨大なエスカレーターを建設したのだ。市内からコムナ13まで歩いて40分かかっていたところ、エスカレーターにより6分に短縮された。
さらに政府はコムナ13をアートの都市として改造する。街中には奇抜なオブジェが乱立し、壁にはカラフルな絵が描かれている。これを目当てに国内外から観光客が集まるようになった。
たくさんの観光客や警察がいる開かれた町は、当然麻薬の取引には不向きになる。そうしてコムナ13の治安はさらに改善。日本人の観光客が一人で立ち入っても問題ないレベルにまで変わった。
スラムの改善という目的で、これほど成果が出た事例は世界でも稀にみる。まずは巨悪を退治し、お金をかけて街を整備する。これだけでスラムの治安は良くなるのだ。もちろん根本的な貧困問題は解決していない。だけど住民の生活環境は確実に良くなった。
現在のコムナ13がスラムと呼べるのかは疑問だが、日本人観光客でも気軽に立ち入ることができるようになったのは朗報だろう。「スラムを歩いたけど平気だった」と友達に自慢したい人は、ぜひコムナ13に足を運べば良い。
コムナ13を描いた映画
コムナ13そのものを描いた映画は少ないが、麻薬王パブロ・エスコバルを描いた作品は数多く、その舞台としてコムナ13が登場する。おすすめは「ブロウ」「わが父の大罪 〜麻薬王パブロ・エスコバル〜」「潜入者」などが挙げられる。
どの作品もドラッグをめぐり繰り広げられる残虐な戦いと、その舞台となり被害に耐え続けるスラム住民の苦しみが垣間見られる。コムナ13を知るには必見の映画だ。